■サワデー沢田の部屋■
■音楽との出会い
あれは、確か小学校3年の頃だったと思う。あまり音楽に興味がないと思っていた父親が4チャンネルのステレオを買い、多分買った後に聞くレコードがないことに気付きあわてて揃えたレコードが、ベートーベンの交響曲第6(田園)だったように思う。その後、しばらくは、毎日の様に我が家には、田園が流れていた。4歳年上の兄貴にはその田園サウンドが大きなカルチャーショックであったようで、以後クラシックにはまりまくり数年後には部屋中がレコードと譜面で溢れ返っていた。
当時の僕はといえば、ご多分にもれず当時大人気であった天地真理や浅丘めぐみなどのアイドル歌手にはまっており月々の小使いで月刊明星を(平凡はカラーページが少なかったので)買い、お年玉でレコードを買っていた。そんな、小学生の僕に音楽的刺激を与えてくれたのが、6年生のときの同じクラスの森君。当時は洋楽なんてクラス中誰も興味をもっていなかったが、彼は、洋楽雑誌を休み時間に読みFM東京の『ポップスベスト10』でエアーチェックをするという早熟小学生であった。

浅丘めぐみのEPジャケット

「Can The Can」の
邦盤EPジャケット
そんな、彼が休み時間に読んでいたミュージックライフを何の気なしに見せてもらうと、飛び込んできたのが、レザーの黒のつなぎでベースギターを股間に挟みシャウトするスージー・クアトロの刺激的なグラビア写真だった。歌手といえば天地真理、麻丘めぐみしか知らない僕は、きっと「なんじゃこりゃー」って顔をしていたんだろう。そんな僕の様子を見て彼は、「スージーのレコードあるけど聞きに来る?・・・・」。“Can The Can”とか“48クラッシュ”なんかを聞かされその迫力にまたまた度肝をぬかれた。
 その後は、彼の影響でレッド・ツェッぺリン、グランド・ファンク、モット・ザ・フープルなどの、ヘビメタを中心に聞きまくっていた。当時は、とにかく音量をあげてガンガン聞くだけで音楽を聴くというよりも、迫力ばかりを求めていた時期だった。
楽器の演奏を始めたのは、高校に入学してから・・・これまた同級生の今度は伊東君の影響。彼の母親が児童合唱団をやっていて、彼の家にはレッスン室があってピアノやギターもあった。楽器が弾けたらカッコイイナなんて単純な発想で少人数でもできるPPMやブラザーズフォー、サイモンとガーファンクルのレコードを聞き2人でコピーを始めた。実際やり始めたらギターアンサンブルとコーラスの美しさに完璧にはまってしまい、放課後、毎日の様に伊東くんの家でギターとコーラスの練習に励む毎日。その後、コーラスが2声では寂しくベースがないと締まらない、ということでこれまた同級生の小倉君を交え3人で始めたのが、かの有名な?アカシアなのである。特にPPMのレモントゥリーは思い出の曲で当時かぞえきれないほど練習したアカシアのルーツみたいな曲である。つづく・・・

Lemmon Treeが収録
されていたアルバム